広島とアニメーションについて、どうしても広島国際アニメーションフェスティバルを抜きには語れない。広島国際アニメーションフェスティバルの第1回は1985年に開催された。広島の被爆40周年事業として、もう24年経っている。1985年を第1回として、第2回を1987年、第3回を1990年、その後は2年毎に、偶数年に開催されて来た。2004年は第10回、来年の2010年の8月には第13回大会、25周年を迎える。
私は1979年1月ごろ広島県映画センター連絡会議議長をしていたが、その頃から1985年まで、現在の広島国際アニメーションフェスティバルディレクターの木下小夜子さん、ご主人の故木下蓮三さん、当時の広島国際文化財団事務局長の金井宏一郎さん(後の中国放送社長、アニメーションビエンナーレ基金代表理事)、広島映画センター専務の田辺昭太郎さん等とアジア地域での唯一のアニメーション国際映画祭を広島で開催と広島市役所、企業を回った。
そして広島アニメーションビエンナーレである。第1回は広島アニメーションビエンナーレ2004として、第10回広島国際アニメーションフェスティバルの開催とほぼ同じ時期に複数のコアプログラムを立ち上げることによって、その相乗効果で国の内外に「アニメーション・コミック都市広島」をアピールし、「アニメーションを核にした都市おこし、産業おこし」の第一歩を踏み出した。メインプログラムは比治山の広島市現代美術館にて、2004年7月17日〜9月5日まで、アニメーション&マンガワンダーランド展を開催した。広島国際アニメーションフェスティバルが2年に1度のビエンナーレ方式で開催され、その開催年の夏に開催するのでアニメーションビエンナーレとした。
私は2002年中国放送を退職し、第二の人生の目標は『元気なうちに妻と世界各国の世界遺産を訪ねること』とした。エジプトのピラミッド、ペルーのマチュピチュ、カンボジアのアンコールワットと・・・・。ところが、2003年12月中国放送の金井社長から突然電話が入りアニメーションビエンナーレを手伝うことになった。
広島国際アニメーションフェスティバル、広島アニメーションビエンナーレについては次号からふれていくが、私の映画との出会い、映画サークル、映画センター、「ピカドン」との出会い、映画製作、広島が映像都市といわれている広島市映像文化ライブラリーの誕生、ヒロシマ国際アマチュア映画祭、広島のアニメーション作家等もおいおいと私的に論じたい。
なお、参考文献として、中国新聞記事、映画手帖、シネマッド、
広島映画サークル協議会機関紙、広島映画センター機関紙から引用している。謝々。

この「ピカドン」のチラシは広島と映画とアニメーション論の柱です。
HACウェブマスター 小森敏廣