映画サークル会員(友の会)制度を見直し、自主上映会の活動も軌道に乗り、映画サークルの全国組織、全国労映(現在の映画鑑賞団体全国連絡会議)の活動も活発化し、『映画を観る』鑑賞活動と『良い映画』を普及する活動とを展開し、事務局員も2名となった。
自主上映例会作品は1969(昭和44)年9月の第1回「ひとりっ子」、から年6回〜8回、1972年3月まで「ベトナム」「大地のうた」「西部戦線異常なし」「長距離ナンナーの孤独」「ひろしま、ヒロシマの証人」「若者たち、若者はゆく」「母、ストライキ」「鉄道員」「わかれ道」「西ドイツ映画祭」「戦争と人間第2部」「大河のうた」「山田洋次監督作品集」「腕という女」「アルジェの戦い」「わが青春のフロレンス」「羅生門、雨月物語」だった。
上映館は「文化ニュース館」「労働会館」「中央名画劇場」「環衛センター」「朝日会館」「スカラ座」「駅前東映」「広島宝塚地下」と地元劇場の協力を得て例会活動を進め会員拡大と事務局体制を築いた。
1972年4月1日、広島映画サークル協議会に映画センター部を設置し事務局員1名(西田澄子)を専任として配置した。16ミリ映写機がなかったので購入すべくカンパを訴え実現した。(それまでは広島市教育委員会から16ミリ映写機を借用していた。)そして、16ミリのフィルムを先ず1本を購入し広島県内の上映活動を開始した。1972年6月には全国の各県映画センターとともに映画センター全国連絡会議(全国映画センター)を結成した。