2009年12月07日

私的、広島と映画とアニメーション論 02

02 映画との出会い

 私、小森敏廣の映画との出会いから入ってみる。
1976(昭和51)年7月20日 中国新聞『夕刊でるた』に私のコラムが掲載された。

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 私の映画との出会いは、確か小学3年の夏。近くの集会所前の広場と道路を囲った星空劇場。夜8時過ぎ暗くなってからみた『暁の脱走』池部良と山口淑子が機関銃で撃たれたラストシーンはいまでも脳裏に焼きついている。
 そのころ、(昭和25年)日曜日ごとに約4キロの道をマラソンで通い10円の割引料金でみたのは、知恵蔵の『多羅尾伴内シリーズ』、右太衛門の『旗本退屈男』。中学生になって10キロの道を自転車で通い外国映画との出会いが始まった。広島に来て(昭和36年)映画サークルを知り、映画が社会的なテーマを持っているのを知った。
 昨年6月に製作された『猫は生きている』は広島県下で約11万3千人の人たちがみた。今年4月に設置した「広島平和教育映画ライブラリー」の映画は被爆31周年を迎えようとしている今日、地域の子供会・町内会で、そして学校等で百ヶ所を超える上映会に利用されている。
 私の映画との出会いは、いまでも心に残っている。いまテレビが普及し、生活環境が変っていることもあり、子供たちの映画との出会いの場が失われようとしている。先ごろ、団地の集会所で映画を上映したことがある。その映画をみた4歳になる男の子が「おとうさん、きょうネ、おへやがくらくなってネ、おおきいおおきいテレビがあってネ、とってもおもしろかったヨ」と報告してくれたそうだ。その子は映画というものを知らなかったが、映画との出会いは始まった。
 いま映画界は「邦洋逆転」といって日本映画をみる観客が減っている。昔は町や村にも映画館があった。現在では小さな都市からも映画館が消えつつある。映画との出会いの場が失われつつあるのは大変悲しい。
 私たちが教室に、地域へと映画を広めようとしているには、私が子供のころに味わった映画との出会いをいまの子供たちにつかんで欲しいと思うから−。
小森敏廣 (広島映画センター代表・広島映画サークル協議会副会長)
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 最近、週に1回は劇場に行っている。映画を観るのは夜の上映会が多いが観客は10人から30人と寂しい。子供たちと一緒になることはほとんどない。
posted by T.K at 10:11| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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