当時、ソ連ではタシケント映画祭は偶数年、モスクワ映画祭は奇数年と交互に開かれていた。タシケント映画祭はこの年で四回目。コンクール方式をとらず、各国の映像文化を紹介しあうフェスティバル。今回から新たにラテンアメリカ諸国も加わり参加国は日本を含む52カ国とパレスチナ解放機構(PLO)、国連の2機構。
1976年5月19日から29日まで開催された映画祭に、日本からは松竹映画「同胞(はらから)」(山田洋次監督)が正式参加。「新幹線大爆破」「サンダカン八番娼館・望郷」「金環蝕」「アフリカの鳥」「友情」など八本が自由参加。代表団は団長に岡田茂東映社長、そして、徳間康快大映社長、女優の岡本茉利(同胞)、志穂美悦子(新幹線大爆破)、安田道代(金環蝕)さん、映画評論家の登川直樹、山田和夫さん、外国映画配給会社の役員さん等や映画プロデューサーの人たち21名。私は、異国の地、タシケントで一緒に過ごし交流した。
広島で上映運動した「同胞(はらから)」の岡本茉利さん等とタシケント映画祭と同時開催されたソ連アルメニア共和国の首都エレバンでの地方映画祭にも一緒に行った。一緒に参加した映画評論家の登川直樹さんとはエレバンではホテルが同室になった。その後、登川直樹さんにはヒロシマ国際アマチュア映画祭の審査員になってもらった。また、東京親子映画連絡協議会の利岡栄さんとは帰国してからもお互いに連絡をし、広島の親子映画運動に役立つ情報を戴いた。
東映の岡田社長とは1979年開催のモスクワ映画祭でも一緒になった。広島アニメーションビエンナーレ2006のメインプログラム『東映アニメーション50周年ヒストリー〜白蛇伝からふたりはプリキュアまで〜』では大変お世話になった。
外国で開催された国際映画祭に日本代表団の一員として参加したことは、広島の地で映画運動に関わっていた私にとっては貴重の経験であった。後に、ライプチヒ記録映画祭、モスクワ国際映画祭、ベルリン国際映画祭、アヌシーアニメーション映画祭に参加した。この経験は、私の広島での映画の活動に大いに役立った。