広島映画センターは映画を通して平和教育を進める立場から、広島平和教育映画ライブラリーを設置し、初の原爆告発アニメーション『ピカドン』を普及していたが、1980年7月、10フィート映画運動が始まり、広島事務局を引受け、私は事務局次長を受けた。
10フィート映画運動とは。
1978年に開催された第1回国連軍縮特別総会で、ヒロシマ・ナガサキの惨劇の跡を撮影した映画フィルムの存在を知り、そのフィルムをコピーとして取り寄せる事ができるとわかった。この莫大な量の原爆投下記録フィルムを、平和のための歴史的資料として日本国内に永久保存すると共に、それを基に核兵器廃絶を訴える新しい海外版を含む数種の記録映画を制作し世界的な上映運動を繰り広げる運動です。
米国に保存されていたフィルムの長さが約八万五千フィート。それを映画として制作するためにネガ用とプリント用に二本、永久保存用のネガティブフィルムとして一本、計三セット、つまり入手すべき延べフィート数は、約二十五万フィート。そしてその入手と映画制作費用等に、総額七千五百万を見込み。二万五千人に呼びかけ、一人10フィート三千円の募金を呼びかける運動です。
募金に参加された方には10フィート映画の鑑賞券を配った。
広島事務局は、1982年5月現在4200万円の募金を集めた。全国で1億3000万円余の募金が集まり、10フィート映画が出来た。
10フィート映画は
第一作、学校教育用20分『にんげんをかえせ』1982年1月完成。
第二作、青年向け様42分『予言』1982年8月完成。
第三作、劇場・テレビ用90分『歴史』1983年完成。
第一作の『にんげんをかえせ』は、評判が高く、広島県内はもとより、全国に、外国にと、16ミリフィルムは1600本近く販売され、上映された。1982年に開催された第2回国連軍縮特別総会へ参加する運動と結びついた。
10フィート映画運動記録集
10feets.pdf