2010年08月29日

私的、広島と映画とアニメーション論 34 生きるための証言

34 生きるための証言−いま、ヒロシマから

 10フィート映画は、第一作『にんげんをかえせ』(1982年)、第二作『予言』(1982年)、第三作『歴史』(1983年)を完成。平和教育に、反核運動の中で上映された。特に『にんげんをかえせ』は被爆者自身が当時の被爆現場(記録映像にある撮影された場所)で証言するという手法で被爆の実相を語り、見る人に衝撃を与えた。この映画は16ミリプリントが7000本以上販売された。そして、この映画をみて、それまで語ることのなかった被爆者たちが語り始めた。

 1984年、片桐直樹監督が広島に来た。片桐さんは広島映画センター設立後に自主上映として取り組んだ『トンニャット・ベトナム』の監督であり、1977年ドイツ民主共和国で開催された第20回ライプチヒ映画祭で一緒だった監督。

 1984年当時、約38万人の被爆者がいた。しかし、マスコミや多数の人々に向かって被爆体験を話した人は極めて少なかった。当時の統計によれば0.1%にも満たなかった。監督はこの被爆者達に語ってもらうこと、被爆者がスクリーンから訴えてくれば、原爆の実相を知り、核廃絶への決意を、感動を持って見る人に与えるだろうと考え、製作委員会を結成し、広島に来た。

 広島映画センターは製作協力を決めた。監督は段原町に民家を借り自炊をしながらカメラマンと住み込み、撮影に入った。しかし、三十人ほどの被爆者に会い出演を要請したがすべて断られた。それでも粘り強く要請した。

 「被爆体験を持つ人々が高齢化し次々と逝かれます。私はあの核の恐ろしさを伝えなければ死んでも死に切れません」
 「原爆ちゅうもんは、ありゃあ地獄じゃね」
 「我われは三十九年まえに原爆は終わったのでなくて、そのときから原爆の苦しみははじまったと思っています」
 「やっぱり生き残ったものが話すことが核兵器のない世界をつくるために必要だ」と語った被爆者たちの協力で映画はその年の6月にカラー・58分の作品として完成した。

 『にんげんをかえせ』が被爆の実相を映像で証言した作品だとすれば、この映画は被爆者自身の声で語った証言集であり、つくりものではない真の体験談の作品として完成した。

 広島映画センターはこの作品を平和教育映画ライブラリーに加え、県内での上映を推進し、また、全国へ16ミリプリントで販売促進した。

 その後、ビデオの登場により多くの被爆者の証言が記録されるようになった。



posted by T.K at 12:36| Comment(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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