2010年01月24日

私的、広島と映画とアニメーション論 09

09 タシケント映画祭に参加

 1972年4月1日に設立した広島映画センターは『平和教育に映画を』と、1975年、全国映画センターが製作した人形劇映画『猫は生きている』の製作・上映運動を取り組み、広島県内15万人の人たちに見てもらった。広島映画センターのこの取り組みは全国的にも注目される映画製作・上映運動として評価され、私は1976年5月、日本映画復興会議代表としてソ連タシケント映画祭に参加することになった。

1976年5月20日中国新聞夕刊記事
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小森さん、広島から初参加
 ソ連ウズベク共和国の首都タシケントで19日から開いている『第4回アジア・アフリカ・ラテンアメリカ諸国国際映画祭』に、広島映画センター代表・同映画サークル副会長の小森敏廣さん(33)=広島市可部町虹山、会社員=が日本映画復興会議代表として参加した。広島からの出席は初めて。
 同映画祭の参加国は日本を含む52カ国とパレスチナ解放機構(PLO)、国連の2機構。日本からは松竹「同胞」が公式参加したほか8本が自由参加。
 小森さんは『東南アジア、アフリカなど広島地方で上映されない映画を主に観賞し、参加者との交流で、その国々がどんな映画づくりを進めているのかを聞くのと、ヒロシマを訴えてくるのが主な目的』と話していた。
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 日本映画復興会議は1961年にスタート。1958年をピークに日本の映画産業が急カーブで下降線をたどる中、映画表現の自由獲得や、日本映画の復興をめざして、映画を作る側と、見せる側とが共同で活動をしていた。初代議長は、『ひめゆりの塔』の今井正監督、広島映画センターも参加していた。

この映画祭で広島出身の東映の岡田茂社長と一緒だった。
タシケント映画祭招待状
invitation1976.pdf




posted by T.K at 11:07| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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