2010年02月14日

私的、広島と映画とアニメーション論 12

12 木下蓮三さんとの出会い

 私は1977年11月19日〜26日までドイツ民主共和国で開催された第20回ライプチヒ映画祭に参加した。そこで木下蓮三さんと出会った。
DDR197711.jpg
写真は当時の東西ベルリンの象徴であったブランデンブルク門をバックに、左端が木下蓮三さん、菅家陳彦・まり夫妻(記録映画監督)、筆者、右端は増田健太郎さん(独立映画社社長)。

木下蓮三さんは1936年9月3日大阪生まれ。
大阪コマーシャルフィルム、毎日放送映画社を経て、1967年、スタジオロータス設立。
『ゲバゲバ90分!』『コント55号のなんでそうなるの』『カリキュラマシーン』などのテレビ番組や数々のCMアニメーションを演出・制作。
CMはIBA、クリオ等の国際賞を多数受賞。

その一方で、短編アニメーションを自主制作。
1971年の処女作は『いったい奴は何者だ』。
1972年の『メイド・イン・ジャパン』はニューヨーク国際アニメーションフェスティバルでグランプリ受賞、
1977年、このライプチヒ映画祭には『日本人』を持って参加され、ライプチヒ映画祭名誉賞を受賞された。

 この映画祭に参加した代表団員は、よく一緒に食事し、記録映画の現状を論じた。私は、木下蓮三さんと、『広島平和教育映画ライブラリー作品の映画でもって、平和教育を進めている』と話した。特に原爆の悲惨さを記録映画で表す難しさを語った。
 翌年の4月、映画サークルの例会にアニメーション映画祭(第82回例会)を企画し、アニメーションのなりたちから現在に至るまでを、アニメーション作家の目を通して話してもらう『アニメーション映画の過去と未来』講演会の講師に広島に呼んだ。木下蓮三さんとの付き合いはこのライプチヒ映画祭から始まった。



posted by T.K at 11:47| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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