2010年09月04日

私的、広島と映画とアニメーション論 35 黒い雨にうたれて

35 アニメ映画『黒い雨にうたれて』

長編アニメーション『黒い雨にうたれて』のチラシ
kuroiame-3.pdf

 漫画家中沢啓治さんは1945年8月6日、広島で被爆、その体験をテーマにした劇画「はだしのゲン」は、全国少年少女に愛読され読者数1,000万人を超すベストセラーとなった。劇映画として『はだしのゲン第1部』(山田典吾監督、1976年)、『はだしのゲン第2部』(山田典吾監督、1976年)、『はだしのゲン第3部』(山田典吾監督、1980年)と映画化。また、長編アニメーション『はだしのゲン』(真崎守、1983年)と映画化された。

 当時、独立プロ系の配給会社は広島映画センターが加盟している全国映画センターと共同映画系列があった。劇映画の第1部、第2部は共同映画系列、第3部は映画センター。アニメ『はだしのゲン』は劇場上映後から広島映画センター。

 1984年、中沢啓治さんはアニメ『はだしのゲン』の収益金を元に「はだしのゲン」を描く前に初めて原爆を題材として描いた漫画「黒い雨にうたれて」のアニメ映画化をした。完成は7月20日。
中沢さんは、アニメ映画化に際して、
-----------------------------------------------------
 22歳(1961年)の時、上京して漫画家生活に入ったが、被爆者だと解ると放射能が伝染するのではないかと側に寄らず、異様な無知な目で見られる原爆差別にも出会った。この世から、私から、「原爆」という言葉は消えてしまえっ!という気持ちで逃げ回る一方だった。

 1966年、原爆病院、自宅治療と四年間の闘病生活の末、母が死に、火葬に立ち会って、私の意識は一気に変った。母の骨は放射能で食いつくされ、小さな破片だけ残して無だった。母は、あの一発の原爆のために、どんなに戦後を苦しみ抜いて生きてきたか・・・・その母の骨まで奪っていくのかと思うと腹の底から怒りが湧き上がった。母と私の復讐戦だという気持ちで叩きつけるように描いた作品が「黒い雨にうたれて」だった。

 流行に乗って「愛」とか「やさしさ」が口先でもてはやされているが、真の怒りを忘れてはならないのではないだろうか。そんな思いを込めてアニメ『黒い雨にうたれて』を制作した。
-----------------------------------------------------
 しかし、長編アニメーション『黒い雨にうたれて』は配給先が決まらず上映のメドが立たず、中沢さんは困惑していた。それを聞いて、私は埼玉映文協と共に長編アニメーション『黒い雨にうたれて』の全国配給委員会を立ち上げ配給を引き受けた。
  
1984年7月20日、東京銀座のヤマハホールで試写会。
広島では8月15日に名画座にて試写会。試写会後に長編アニメーション『黒い雨にうたれて』完成記念と「中沢啓治を励ます会」を実施し

kuroiame19840815.jpg
kuroiame-2.jpg
(写真は 1984・8・15 YMCAにて 励ます会)

9月18日、アニメ映画『黒い雨にうたれて』広島上映実行委員会を結成し、
12月8日から1週間、劇場(名画座)上映した。
併映は『生きるための証言』





posted by T.K at 18:17| Comment(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

借金返済やばかったけどマジ助かったぁぁぁ!!(;゚∀゚)=3
即で10万必要って言ったらすぐに用意してくれたしな!!

ま、代わりにチンコたっぷり搾られたんだけど(笑)
てか1晩で5回もSEX求めるとか性★欲やばすぐるwwww
http://jaka.subekarazu.com/8-llieh/
Posted by ここの女レベル高けぇwww at 2010年09月09日 09:07
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。