2010年03月14日

私的、広島と映画とアニメーション論 16 モスクワ国際映画祭

16 モスクワ国際映画祭 

 私は、1979年8月14日〜28日に開催された第11回モスクワ国際映画祭に日本映画代表団の一員として、『ピカドン』を持って参加した。
『ピカドン』のことは触れてはいないが、「モスクワ映画祭に参加して」のレポートを中国新聞に書いた。 9月18日付

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モスクワっ子 空手映画に夢中  「立派な芸術」と激賞
 
客席六百のザリャーディエ劇場は満席。通路、壁際にも立ち見でいっぱい。私はその舞台に立ってあいさつすることになっていた。第十一回モスクワ国際映画祭(八月十四日〜二十八日)二日目の昼食時、日本映画代表団の事務局を担当している映画評論家の山田和夫氏に「今晩、松竹の『地上最強のカラテ結集編』が、インフォメーションとして上映されるが、松竹の関係者が二十日でないとモスクワ入りしないので、代わりにぜひ、あいさつしてくれ」と懇願され、引き受けてしまった。舞台あいさつといっても、司会者から名前を紹介され、舞台からおじぎをするだけ。それならと引き受けてしまう。

 上映開始二十分前に劇場に着く。劇場前は黒山の人だかり。広島では最近、お目にかかったことがない。ロビーに入ったら、こちらが日本人とわかってか、一人の青年につかまった。「私はカラテの大ファンである。カラテは立派な芸術である。カラテはサイエンス(科学)である。モスクワにはカラテの教科書がない。あなたが持っていたら譲ってくれないか」と迫られる。正直いって「空手」の知識はなく、しどろもどろ返事するハメになり、大変なことを引き受けてしまったと後悔。

 超満員の会場は熱気むんむん。みんなの目は私に空手の型を披露してくれといわんばかり。舞台あいさつが終わってロビーに出たら、日本代表団の男性通訳全員三人とも姿をみせている。聞いてみると、三人とも空手ファン。一人は世界大会に出場したという。いまモスクワでは六千人の人が空手道場に通っていて、大変なブームであることを知る。

 後日、日本代表団の記者会見の場に出席していたモスクワの新聞記者が、空手のテキストがぜひ欲しいと寄ってくる。記者団の代表質問でも「日本のカラテ映画は大変すばらしい。主演の人たちはカラテのプロか」と聞く。岡田東映社長は「俳優千葉真一はプロではないがレッスンをしている。近く、佐藤純弥監督、千葉真一主演の映画を東映とソビエトモスフィルムの合作で撮ることが決まった」と答え、記者団は満足。
 
 街頭で出会うモスクワ市民から「あなたはヤポーニャ(日本人)」と問われ、「ダー(はい)ダー」と返事すると「カラテはすばらしい」と空手の型を見せてくれる。来年のモスクワ・オリンピックには「空手」の種目が入るのではないかと思うくらいの人気に驚いた。三年前のタシケント映画祭に参加した時、映画『必殺女挙士』の東映女優・志穂美悦子に人気があったことからみると、いまモスクワの空手ブームは最高潮だ。

               小森敏廣(広島県映画センター連絡会議議長)
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mosukuwa1979.jpg

『戦争と平和』のナターシャ役などで知られるソ連のスター女優リュドミーラ・サベーリュアさんと交流する筆者  =モスクワのフィルムスタジオで=




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2009年11月29日

私的、広島と映画とアニメーション論

01 広島とアニメーション

 広島とアニメーションについて、どうしても広島国際アニメーションフェスティバルを抜きには語れない。広島国際アニメーションフェスティバルの第1回は1985年に開催された。広島の被爆40周年事業として、もう24年経っている。1985年を第1回として、第2回を1987年、第3回を1990年、その後は2年毎に、偶数年に開催されて来た。2004年は第10回、来年の2010年の8月には第13回大会、25周年を迎える。
 私は1979年1月ごろ広島県映画センター連絡会議議長をしていたが、その頃から1985年まで、現在の広島国際アニメーションフェスティバルディレクターの木下小夜子さん、ご主人の故木下蓮三さん、当時の広島国際文化財団事務局長の金井宏一郎さん(後の中国放送社長、アニメーションビエンナーレ基金代表理事)、広島映画センター専務の田辺昭太郎さん等とアジア地域での唯一のアニメーション国際映画祭を広島で開催と広島市役所、企業を回った。
 そして広島アニメーションビエンナーレである。第1回は広島アニメーションビエンナーレ2004として、第10回広島国際アニメーションフェスティバルの開催とほぼ同じ時期に複数のコアプログラムを立ち上げることによって、その相乗効果で国の内外に「アニメーション・コミック都市広島」をアピールし、「アニメーションを核にした都市おこし、産業おこし」の第一歩を踏み出した。メインプログラムは比治山の広島市現代美術館にて、2004年7月17日〜9月5日まで、アニメーション&マンガワンダーランド展を開催した。広島国際アニメーションフェスティバルが2年に1度のビエンナーレ方式で開催され、その開催年の夏に開催するのでアニメーションビエンナーレとした。
 私は2002年中国放送を退職し、第二の人生の目標は『元気なうちに妻と世界各国の世界遺産を訪ねること』とした。エジプトのピラミッド、ペルーのマチュピチュ、カンボジアのアンコールワットと・・・・。ところが、2003年12月中国放送の金井社長から突然電話が入りアニメーションビエンナーレを手伝うことになった。
 広島国際アニメーションフェスティバル、広島アニメーションビエンナーレについては次号からふれていくが、私の映画との出会い、映画サークル、映画センター、「ピカドン」との出会い、映画製作、広島が映像都市といわれている広島市映像文化ライブラリーの誕生、ヒロシマ国際アマチュア映画祭、広島のアニメーション作家等もおいおいと私的に論じたい。
 なお、参考文献として、中国新聞記事、映画手帖、シネマッド、
広島映画サークル協議会機関紙、広島映画センター機関紙から引用している。謝々。
pikadonIMG.jpg
この「ピカドン」のチラシは広島と映画とアニメーション論の柱です。
HACウェブマスター 小森敏廣
posted by T.K at 11:31| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月10日

広島とアニメーション 予告

3月1日にUPします。
posted by T.K at 17:11| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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