2010年10月02日

私的、広島と映画とアニメーション論 39 広島平和教育映画ライブラリー上映手引書

39 広島平和教育映画ライブラリー上映手引書

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 1989年6月、アニメーション映画『かんからさんしん』が完成した。この映画は広大な米軍基地をかかえ、実戦さながらの演習が続く現地沖縄から「再び戦争の悲劇をくりかえしてはならない」と沖縄県民の全面的な協力を経て、沖縄戦を真正面から描きながら、「いかに死んだか」ではなく「いかに生きたか」を“かんからさんしん”に託して語りかけています。

 1976年4月1日、人類最高の倫理であるヒロシマを原点とする平和教育推進のために、広島平和教育研究所と広島映画センターが共同で設置した『広島平和教育映画ライブラリー』は、当初劇映画5本、記録映画8本でスタートしたが、この年1989年には劇映画26本、記録映画42本、アニメーションは『かんからさんしん』を加えて29本と計97本までに拡充した。

 特に、アニメーション映画は1978年の「ピカドン」から始まり、アニメーションで描ける優位性を生かして数多くの作品が制作され、広島平和教育映画ライブラリーに加え、平和教育に生かしてきた。
 
 1982年に広島映画センター10周年を記念して、平和教育映画の教材化をはかるうえでの役割を果せばと「上映手引書」を発行。各方面から好評を頂き、被爆40周年を迎えた1985年に改訂版の発行。そして1987年には第3版(120ページ)を発行し、広島県内の小・中・高校に配本し平和教育に活用されるべく願った。

1989年現在のアニメーションの作品29本。

1978年 ピカドン
1980年 BOOOM(ブーム、国連制作)、8月9日長崎、ヒロシマの詩
1982年 象のいない動物園、ふるさとの動物園、対馬丸、
      トビウオのぼうやはびようきです
1983年 おこりじぞう、はだしのゲン
1984年 風の谷のナウシ力、雨はやさしく(ソ連)、パパママバイバイ、
      黒い雨にうたれて、戦争―こどもたちの遺言―
1985年 おかあちやんごめんね、おかあさんの木
1986年 はだしのゲン・2、100ばんめのサル
1987年 チロヌツプのきつね、シー・キャツト、学習アニメーションシリーズ1「核戦争」、
      風が吹くとき、煙突屋ペロー
1988年 天に焼かれる
1989年 かんからさんしん、さようならカバくん、日本国憲法、
      ひろしまのエノキ




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2010年09月27日

私的、広島と映画とアニメーション論 38 第2回広島国際アニメーションフェスティバル

38 第2回広島国際アニメーションフェスティバル
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(広島厚生年金会館)

 1987年8月21日〜26日 広島厚生年金会館にて第2回国際アニメーションフェスティバル広島大会が開催された。(第1回開催場所の広島市公会堂は老朽化のため取壊し広島国際会議場に1989年生まれ変った。)
 1987年1月31日 中国新聞
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「愛と平和」をテーマにことし八月、広島市中区の、広島厚生年金会館で開かれる第二回国際アニメーションフェスティバル広島大会の開催概要が決まり三十日、大会副会長のアニメ作家の久里洋二さん、木下蓮三さんらが東京・内幸町のプレスセンタービルで発表した。

 開催期間は八月二十一日から二十六日までの六日間。審査委員は世界のアニメ映画祭大賞を総ざらいしているソ連の巨匠ユーリ・ノルシュテイン氏をはじめ、中国の漫画家・特偉氏、日本の劇作家飯沢匡氏ら七人に決定。特別ゲストとしてイギリスのアニメ作家ジョン・ハラス氏が来日する。

 既に作品の公募を始めており、応募点数は六十年の第一回大会(三十六カ国から四百五十一本)より大幅増を見込んでいる。五月に一次審査をして約八十本を選び、八月の本大会で一般公開しながら本審査をする。
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 5月、広島市映像文化ライブラリーで開催された第一次審査は日本のなみきたかし氏ら五人の選考委員が、世界35カ国から集まった334本の作品から58本を選び、国内からは44本の応募作品うちから5本選ばれた。

 8月21日からの本審査の国際審査委員(フランスのニコル・サロモン氏ら七人だったが飯沢匡氏は体調不良のため辞退)の一人で、前回大会で「おんぼろフィルム」でグランプリを受賞した手塚治虫さんは
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平和都市広島に再びアニメの夏がやって来た。反核、平和、友好をアニメの言葉で語り合うために世界の作家、技術家、ジャーナリストが集まる。子供たちの娯楽やマニアの趣味としてだけでなく、新しい映像言語としての地位を確立する時なのだ。おそらく、今回のプログラムを見た人々は、誰でもそれを感じとってくれるにちがいない。
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と広島市民にメッセージを寄こされた。

 『悪魔の発明』のカレル・ゼーマン氏が国際名誉会長として来広され、氏の代表作品(水玉の幻想、クラバート等)が上映された。また、ASIFA名誉会長のジョン・ハラス氏も来広。氏の代表作品(珍説・世界映画史、ジレンマ等)が上映された。

 特別企画として、人形アニメーションの大家川本喜八郎さん、デザイナーの和田誠さん、女優で名司会者の黒柳徹子さんの3人が語るアニメーションの世界は大好評でしたし、開催中、毎日発行されたDaily Bulletinの編集責任者におかだえみこさん。英語版も発行された。

DAILY BULLETIN NO.6 によれば
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入場者数、前回を上回る
 連日、好調の入場者数は、24日<子供のためのプログラム>でピーク。午前、午後を通算して実に、4500人の入場者、これで前回の全日程の記録を軽く更新。その上いい作品が集まったので、子供たちの反応もよく、静かに見てくれました。関係者一同大喜びです。
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 そして、グランプリは「クラック!」(1980)「木を植えた男」(1987)で二度もアカデミー賞短編アニメーション賞受賞のフレデリック・バック監督の「木を植えた男」でした。

 第2回広島大会のフェスティバルディレクターには後藤田純生、木下小夜子、田辺昭太郎(広島映画センター)、片山雅博氏の4人が担当した。

作品の応募点数は前回より減少したが、大会は質量ともに充実し大成功でした。



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2010年09月19日

私的、広島と映画とアニメーション論 37 アヌシー国際アニメーション映画祭

37 アヌシー国際アニメーション映画祭

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 1987年5月28日〜6月2日、アヌシー国際アニメーション映画祭に参加した。
 広島国際アニメーションフェスティバルを広島に誘致し、その後のこともあり、1961年カンヌ映画祭から分離独立したフランスのアヌシー国際アニメーション映画祭を見たくなった。アヌシーにはフィルムマーケットもある。映画「こんにちはハーネス」の海外への普及を委託していた大映を窓口にフィルムマーケット/MIFAの参加証を得た。

MIFAとは  アニメーション見本市MIFAの機能
 世界最大のアニメーション映画祭であるアヌシー国際アニメーション映画祭に併設される。
 MIFAは、THE INTERNATIONAL ANIMATION FILM MARKET(国際アニメーション映画マーケット)で、アニメーションに特化した世界で最も大きな見本市である。見本市を運営するのはCITIA。

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 フランスのパリに在住の今城さんに御世話になった。映画祭では今城、木下蓮三・小夜子夫妻、久里洋二、田名網敬一、藤幡正樹、なみきたかし、秋山さん達と一緒になった。

 アヌシーはスイスとの国境にあり、ヨーロッパの中では水の透明度が最も高いといわれているアヌシー湖に囲まれた美しい町、昔はサヴォワ公国の首都であったこともあり歴史の街、世界遺産になっている。ヨーロッパのリゾート地、人口は5万人と聞いていたが沢山の外国人の観光客で賑わっていた。

 アヌシー国際アニメーション映画祭として、街じゅうに映画祭のポスター、バナーが掲示されていた。

 プログラムの上映は、映画祭会場のホールに3スクリーン、そして市内の映画館、ホールに5スクリーンもあり見逃した作品は後日見れた。上映は11:30、13:30、15:00、17:30、20:00、22:30と一日六回上映、22:30からの回は終了が24:00となり疲れた。

 久里洋二、田名網敬一さんの作品関連展示もあり、日本のアニメーターのレベルの高さを確認した。

 第1回を開催した広島は、規模でなく、『広島らしさをアピール』する必要を感じた。即ち、「広島市民みんなが歓迎する」こと。

 この映画祭には、高校3年生の長男と参加した。

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posted by T.K at 22:15| Comment(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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